昨日は葬儀に出席した。
会場は地元のコミュニティーホール。200人は超えるであろう参列者に驚きました。地区の首長としても活躍していたので、制服姿も数多く見受けられました。
ホール内には遺影がかかげられ、式が粛々と進みます。
故人を偲ぶスピーチがあり、10人に近い人がそれぞれの思い出を語ります。
ただ、日本のと違うのは、スピーチのところどころにジョークが混じり、式場に参列する人の「笑い」を誘い、悲しみばかりではなく、違った面で故人を偲ぶ式となりました。
式終了後はサンドイッチや飲み物等が提供され、夕方近くまで故人の話や、友人との旧交を深めたりしていました。
そんな中、彼女に似た後ろ姿に、彼女を探している自分がいるのに気づいき、ついつい涙がこみ上げてきてしまい、どうにもやり切れませんでした。
冥福を祈ります。
さて、「教え子」からコメントが届きました。
生徒は今頃30歳半ば~40歳くらいになられています。自分の教員生活に「厳しく」反省を促すものでした。
私の新任時代はちょうど「金八先生」の最初のシリーズが始まったころで、マッチとかが出ていたころだと思います。
当時の学校は「校内暴力」が全盛期を迎えていて、「ソリコミ」だの「ガクラン」だのが大いにはやっていたころです。
「力」で生徒を抑える、と言う感じで、「体育」の先生が生活指導の前面にたっていました。
私の新任もそんな中でのスタート。勢い生徒には「平手」が飛ばす教師でした。時代だったとはいえ、他に方法がなかった「出来損ない」の教師でした。そうしたのが「普通」なんだ、というまま教員生活が続いていきました。そんな私に受け持たれた生徒こそ、いい迷惑だったことでしょう。
コメントをいただいた方に私は「全体責任」ということで平手でたたいたとのこと。何十人とお詫びしなければならない私です。
与えてしまった「心の傷」癒せるものではそうそうありませんが、そういう教員であったことを残念に思い、大いに反省し、お詫びします。
私とあったことが「人生最大の不幸」であったともコメントいただきましたが、いつかお会いする機会があれば、改めてお詫び申し上げます。

「朝青龍」館内に熱気 3場所ぶり勝ち名乗り
2008年1月14日 (中日新聞)朝刊

復帰戦を白星で飾り、得意げな表情で懸賞を受け取る朝青龍関=13日、東京・両国国技館で
 3場所ぶりに姿を見せた「横綱朝青龍」に、館内は熱気に包まれた。13日、東京・両国国技館で始まった大相撲初場所。出場停止処分が解けた朝青龍関は白星発進し、満員の観客を沸かせた。
 結び前の一番。朝青龍関が土俵に上がると、まぶしいほどのフラッシュが出迎える。「頑張れ!」。ヤジはほとんどなく、好意的な声援がこだました。この日ばかりは、結びに登場するライバルの白鵬関から主役の座を奪った。京都市から訪れた会社員大浦新さん(44)は「朝青龍関が久々に出るので、絶対に初日に来ようと思った。逆風をはねのけて優勝してほしい」とエールを送った。
 一方、品格のなさを指摘されることが多い横綱に対して厳しい目も根強い。友人4人と国技館で観戦した愛知県安城市の会社員伊左治愛子(36)さんは「横綱としての給料をもらっているのだから、横綱の仕事をしてほしい」と、歓迎ムードの中で注文を付ける。
 この日は昨年初場所初日以来、当日券が午前中に完売となり、1階升席はすべて埋まった満員御礼。朝青龍関の復帰が追い風となった。
 相撲取材歴50年の元NHKアナウンサーで日本福祉大客員教授の杉山邦博さんは「超が付くほどの満員御礼は、若乃花・貴乃花時代以来では。手放しでは喜べないが、これも変な意味で朝青龍効果」。2場所の出場停止が、逆に朝青龍関を求めるファンの気持ちをあおったようだ。国技館の相撲茶屋「藤しま家」の野島政吉さん(80)も「両横綱がいると、雰囲気が違う。お客さんも大いに期待している」。
 朝青龍関と交流があるモンゴル出身の歌手オユンナさん(32)は、東京の親類宅でテレビ観戦。「長いブランクがあったので緊張して見ていたけど、勝って本当にうれしかった。厳しい目で見る人がたくさんいる中で結果を出せたのは、生まれ持った強い精神力のおかげ。優勝に向けどんどん突き進んでほしい」と、安心した様子だった。

やっぱり、強いんだね~
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